「納得できないことほど、理由ってのはあるもんだ」

コントローラで真空投げブレーキング追撃とか無理(;´Д`)<そもそも1回転コマンドからして苦手な人の挨拶
そういえばKOF2003でようやくグリフォンをマトモに使えるようになった。マキシマやクラークと違ってグリフォンの戦闘スタイルならヨガ×2も入れやすいし。
でもグリフォールは反則技っつーかかなりラフプレイっぽくないですか。




いやーしかしまたしても寝落ちで昨日は日記更新しませんですた。今月2度目かよ。


まぁ何やかやで残り1週間、前期と後期の間に受けるセンター利用私大の願書書いたり、斬サムやったり、論文書いたり、天サムやったり、単語確認したりしてます。
今日は上本町に論文の添削受ける為だけに行ってみたり、帰りに後期私大の願書出してみたり、何故か男2人でドライブしてみたり、あとすごい秘密言えないことを少々。


そんな状況で、巡回とかもしてないんで特にネタがありません。
あるとすれば、しゃがみ中蹴り→ティーガー・コップ→ファルク・ナーゲル→エレファント・グリードは一部キャラには繋がらないとかぐらいだけです(えー
あーあと裏桜華跳ね上げからしゃがみ蹴り→三空殺はお手軽すぎ。とりあえず自主規制。



しかしこれだけで日記終わりというのは、わざわざ見に来てくれてる方に申し訳ありませんし、たまには(?)気取った文章でも書いてみようかと思います。昨日の今日だし。
わざわざ2時間で1400字書くような勉強してる脳みそ、実生活でも役に立てないと勿体無い。





どんな形であれ表現行為というものの根底には、殆どの場合「(その行為そのものが)好き」というのが動機としてあると思います。そうでないのは、例えば完全に「生きる糧を得るための『手段』」と割り切っているような場合ぐらいでしょう。たとえそれが『仕事』だとしても、そこには「好き」という意識が多少なりともあるのが普通です。
と同時に、その動機は最もシンプル且つ十分な理由でもあります。動機とは「〜だから」という『根本的理由』に、場合によっては「〜の為」という『目的』が伴って成り立つとすれば、何かを表現するという行為の動機としては「好きだから」という根本的理由だけで本質的には事足ります。根本的理由と違って目的はいくらでも遠回りできますし、必要条件ではなく十分条件に過ぎません。
しかし、この仮定の上に、行為の成果をどう扱うかということが絡むと、状況はちょっとややこしく見えたりすることがままあります。端的に言えば、例えばその成果を誰かが自由に見れるような状態にする場合、時として対外的な動機の必要性が錯覚されるということです。そもそも少し乱暴に考えれば、自らの責任の範疇に於いて自分が好きなことをするのに他者の存在を考慮する必要は無いはず。
結論から言うと、『公開すること』には『表現すること』とは別の動機があると言えます。これはややこしい話でもなんでもなく、『成果を公開する』ということは単に『表現すること』と『公開すること』の2つが合わさっただけだということです。
『公開すること』の動機は様々あるでしょうが、まずこの場合の『公開すること』とは、言い換えれば『見られること』です。つまり受動的なこと。当たり前ですが、公開したものがどう評価されるかは基本的に見る側に全面的に委ねられます。アバウトに言えば、何らかの動機に基づいて公開した時点でもうどうにもならないってことです。
しかしその評価をどう受け取るかも送り手の自由ですし、考えようによっては『公開すること』は、その内容に責任を負いさえすれば、それ以上の制限は何もありません。
とは言え『公開する』にもやり方はいろいろあるでしょうが、それはもう単なる方法論なので割愛。いずれにしても、状況が揃えば公開されたものに対してそれ相応の評価は得られるでしょうし。
長々と語ってきましたが、結局のところ大切なのは『表現すること』よりも、むしろ『公開すること』の方の動機やそこに見いだす意義の方が大切じゃないかということです。



以上、この辺この辺に影響を受けたというよりは尻馬に乗って軽く文章を展開してみました。まぁウチのサイトに来られてる方なら既にご存知の方も多いと思いますが。








ゼンゼン関係無いですが、大塚美容整形外科のCMはなんか無性に気持ち悪い。