「大丈夫だ。信じろ……神はいる。たぶんね」
唐突ですが、ウチはシスプリサイトです。<なんちゅーかインスタントな挨拶
NEOGEO終焉! 「KOF」など新作の概要が明らかに
NEOGEO終焉というよりはMVS基盤の終焉ですが。
KOFの他サムスピとメタスラはアトミスウェイブで続くということですが……まぁKOFもサムスピも3Dになったりしなかったらそれでいいです。
あとサムスピは某ナントカギアみたいなゲームにも絶対なって欲しくない。月華みたいになったらそれはそれでヤだけど。
で、ネオジオランド2号店の『サムライスピリッツ零SPECIAL』ロケテスト覗いてきました。人少ねぇー。
プレイはしなかったんで、とりあえず眺めてたトコから見たネタを箇条書きすると、
- ズィーガー復活せず_| ̄|○
- 今のところ使える新キャラは天草、斬紅朗、我旺だけ。ポスターにはミヅキが居た。
- 夢路と三九六は確認できず。
- 天草はゆったりっつーかもっさりっつーか、そんなキャラ。どちらかというと接近戦メインっぽい。
- 斬紅朗は天草より全体的に重い? 無限砲の出がとんでもなく遅い。かなり削るけど。
- 天サムの2キャラ、特に天草はあんまり覚えてないんで怪しい。
- 我旺はほぼ人間状態そのまんま。怒っても変身しないけど何故か勝ちポーズで変身。ちゃんと武器は飛びます。
- 境地発動のコマンドがBCDに、防御崩しのコマンドがレバー入れCDに変更
- 新システム絶命奥義、相手の体力が境地ゲージ以下で怒り爆発状態の時のみ214+CDで1試合に1回だけ使用可能、ヒットすれば即死、ヒット正否に関わらず怒り爆発状態が解除
- 境地ゲージの初期値が増えた。半分までは溜まるのも早いけどそれを越えると溜まりにくくなる。
- 境地発動時のゲージの減りがかなり早くなった。代わりに一閃の威力上昇?
- 既存キャラは今のところ追加技は無し、微調整のみ?
- 中撫子が発生遅くなってマトモな技に。
- 六道烈火、基本性能は変わらず、ただ画面端で地獄道キャンセルから何か繋がる?
- 崩し円心殺は不可になった?
- ステージと登場キャラは関係なくなったっぽい。追加ステージは島原城や骸流島他いくつか。
- 勝ち台詞の時に立ち絵ではなく専用イラストが表示。レラはエロ可愛い、外道グロい、斬紅朗キモい。
- B〜Dボタンカラーが変更(一部キャラだけ?)?
- 横で眺めてた人の携帯に「悠紀エンターテイメント」で登録されてる番号から電話があった。
- 頭文字D ver.3が1プレイ100円。
とりあえずこんなもん。詳しいレポはまぁ適当に検索してクダサイ。(えー
>おけ兄さん(2/18)
初めまして・・・でしょうか。これは、2月14日の「人間大砲」に関する日記に対してのコメントだと思います。
・・・・・一応、お答え致しますが、彷彿とさせません。
よい子のみんなはチェルノブを期待してカレイドスターを見てはいけません。危険ですので。
・・・・・あ、でも空中ブランコのシーンなんかはワリと彷彿かしらん。
むしろ、カレイドを見終えた後にチェルノブでジャンプしながら「レイラさ〜ん!」と、そらごっこ。
チェルノブのジャンプと言えばあのメトロイドにも似ているかもしれない回転ジャンプだったよーな気がしますすが……なるほどあんな感じなのか。
大阪でチェルノブがプレイできるゲーセンと言えば大阪駅前第2ビルB1のアクティロイヤルなわけですが、今度また行ってみよう。それからカレイドスター観てみます。(えー
今更ですが今週のソニックX。
やってる事は単なる王道パターンなワケですが、ここまでひたすら正統派なのはやっぱり燃える。まぁこのテのを最近観てなかったのもあるけど。
しかし、アメリカンテイストだだ漏れなのと、時々脚本の流れが唐突な以外は、ベタだけど隠れた良作だと思うんだけどなー。シャドゥ編とかも最後はかなり燃えたし。
昨日のアレは、要するにSSなり絵なりを書く(描く)ことと、それを不特定多数に向けて公開することは別なことじゃないかってのを言いたかったわけです。
表現することそれ自体は基本的に主体の中だけで完結するものであり、自己満足を目指すものでしかありません。
その成果を他者に見せる段階で客体との関係が生じ、またそれは評価を求めたい、楽しんでもらいたい等の新たな動機が生まれた結果なわけです。
現実的には大抵の場合に於いて、表現することとそれを他者に見せることという2つのプロセスはリニアに連動します。
しかしそれを意識レベルで完全に単一の行為であるように考えてしまうと、時として動機の混乱、根本的理由の喪失が生じてしまうのだと思います。
例えば「楽しんでもらいたいから絵を描く」というのは、より正確に言えば「楽しんでもらいたいから絵を描いて、それを公開する」ということです。
この時、「絵を描く」のがまず原点であり、「公開する」のはあくまで手段であって目的ではありません。
これが、万一「公開するために絵を描く」みたいに完全に手段が目的に、そして根本的理由にすり替わってしまったら問題だと思うのです。
(ややこしいのは、「公開するのは何故?」と問われて「楽しんでもらうため」と即座に繋がるならば問題はないということ。これが昨日言った「『目的』の遠回り」です)
また、行為と目的は循環することもよくあります。それが今述べたような状態で起こる、即ち「公開するために描き、描くために公開する」となるといよいよヤバい。
昨日の最後で、
結局のところ大切なのは『表現すること』よりも、むしろ『公開すること』の方の動機やそこに見いだす意義の方が大切じゃないかということです。
と述べました。
つまるところ、「何故表現するのか」ももちろんですが、それ以上に「何故それを公開するのか」ということも常に考え続ける必要があると思うのです。
ゆめゆめ初心忘るるべからず。
まぁ実際ずっとこんなカタい思考してたら無駄に疲れるだけなので、要はネガティブな状態に陥った時とかに思い出せれば実用レベルでは忘れて構わないわけですが。